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極東アジアの5ヶ国(地域)間を、なんとなく比較してみるブログです。

韓国/中国/香港/台湾のNo.1富豪を比較してみよう。

今回は分野を経済に移して、各国のNo.1富豪を比較してみます。

ランキングは、2016年3月1日に発表されたフォーブスの「世界長者番付2016年版」を参照しています。

 

■韓国

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  • 氏名: 李健煕(イ・ゴンヒ)
  • 生年: 1942年
  • 資産: $9.6 B(約9,600億円) 
  • ランキング: 世界112位

 スマホのGalaxyシリーズで日本でも有名な、サムスングループのオーナー。たまに写真のような可愛い表情を見せることから、韓国国民からはプチ(petit)・ゴンヒという愛称で呼ばれる。

 

 サムスングループの主力はサムスン電子だが、中工業、建設、金融、流通、医療、システム開発など様々事業を展開する韓国最大の財閥である。

 

 サムスングループの創業者は、李健煕父親である李秉喆(イ・ビョンチョル)であり、李健煕サムスンが韓国内でトップクラスの企業に成長した後に事業を引継いだ2代目なので、彼の築いた富は純粋に彼の努力によるものではない。

 

 しかし、サムスンを世界的な企業に成長させたのは李健煕である。彼が事業を引継いだ1987年以降、サムスンの売上げは10倍以上、時価総額は100倍以上も成長している。カリスマ的なオーナーが亡くなった途端、勢いを失う企業が少なくない中で、規模の維持に留まらず、更に成長させたのが李健煕なので、彼の能力や努力も大いに評価されるべきである。

 

 李健煕は、2014年5月に、急性心筋梗塞で意識不明なり、現在も寝たきりの状態だが、彼が倒れるまで強調していたのは「変化」であった。彼の名言としては「妻と子供以外は全部変えろ!」という言葉があるが、全てを変える勢いで革新していかなと時代に後れてしまうという危機意識を常に持って、変化を試みていたことが李健煕の成功要因の一つではなかったかと思う。

 

■中国

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  • 氏名: 王健林(ワン・ジェリン)
  • 生年: 1954年
  • 資産: $28.7 B(約2兆8,700億円)
  • ランキング: 世界18位(アジア1位)

 王健林は、2016年版の番付で、初めてアジアNo.1に躍り出た人物であり、中国3大不動産財閥である大連万達グループの創業者兼会長である。

 

 大連万達グループは、1988年に大連市旧都心が再開発される際に、住宅建設業者として参入し、その後、中国各地で住宅と商業用ビルの建設をながら成長した。また、中国初の大規模ショッピングモールであるワンダプラザを建設し、大成功を収める(現在、ワンダプラザは、中国全国で100店舗以上運営されている)。なお、不動産で築いた財産で、高級ホテルや映画、スポーツ、テーマパークなどに事業領域を拡大しており、2016年現在も勢い良く成長し続けている。

 

 王健林もアドバンテージがなかったわけではない。彼の父親共産党幹部であり、チベット自治区副主席などを歴任している。人脈を重視する中国で、共産党幹部の息子であることのアドバンテージは大きかったに違いない。しかし、当然のことながら、そのアドバンテージだけでアジアNo.1の大富豪になれるわけではない。

 

 それでは、何が彼を成功させたのだろうか。王健林が言った名言の中には、「10人すべてが賛成する事はやるな!」という言葉がある。周りのみんなが良いと思うことは、他の人もよいと思っていることであるため、市場に参入するプレイアも多くなる。プレイアが多い市場では、成功することも難しく、成功を収めても、大きな成功にはつながらない。一方で、周りの人がまだ価値を気づいていない事業は、失敗するリスクは高いかも知れないが、リターンも高いので、そのような事業にチャレンジすべきだというメッセージである。リスクを恐れずにチャレンジする姿勢が、彼を大きな成功に導いた要因ではないだろうか。

 

■香港

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  • 氏名: 李嘉誠(リ・カシン)
  • 生年: 1928年
  • 資産: $27.1 B(約2兆7100億円)
  • ランキング: 世界20位

 笑顔が素敵なこの爺ちゃんは、2016年版の番付で王健林に抜かれるまで、長らくアジアNo.1に座り続けていた、香港最大の財閥である長江実業クループの創業者兼会長の李嘉誠である。

 

 長江実業クループの歴史は、李嘉誠が1949年にプラスチック工場を設立し、プラスチックで造花を作って売ってみたところ大ヒットしたことから始まる。その後、1958年に不動産業に参入し、香港最大の不動産ディベロッパに成長するが、更に勢いを付ける切欠を作ったのが、中国で天安門事件が発生した以降の李嘉誠の判断である。多くの外国企業が中国から避難する時に、李嘉誠はそれをチャンスと見て中国への投資を拡大させる判断をする。その判断が功を奏し、香港最大の不動産ディベロッパから香港最大の財閥に成長する。

 

 李嘉誠は、上記した2人に比べて、殆どといっていいほどアドバンテージに恵まれていなかった。早くから父親を亡くし、学業を断念せざるを得なかったことから、最終学歴は中卒。アドバンテージもなかった李嘉誠は、どうやって成功を収めたのだろうか。

 

 成功要因は色々あると思うが、私は彼の勤勉で誠実な姿勢が最大の要因だと思う。彼は、学業を断念した以降、生計のために毎日数十時間以上を働きながらも、毎朝4時に起きて勉強をしていたという。成功した今でも、家に帰ってきたら、1時間以上英語のニュースを見ながら英語の勉強をする習慣や毎日30分以上読書をする習慣は続けているという。李嘉誠の名言には、「揚子江が長大な河になったのはなぜか?いくつもの小さな川を受け入れることで大きくなったのだ。」という言葉があるが、毎日こつこつ重ねてきた努力(=小さな川)が、今の李嘉誠(=長大な河)を作っているに違いない。

 

■台湾

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  • 氏名: 蔡衍明(ツァイ・エンミン)
  • 生年: 1957年
  • 資産: $6 B(約6000億円)
  • ランキング: 世界200位

 台湾No.1は、「煎餅大王」という異名で呼ばれる蔡衍明である。 

 

 蔡衍明は、食品会社などを傘下に持つ旺旺グループの創業者兼会長だが、会長の異名からもわかるように、旺旺グループは煎餅で成長した企業である。単価の安いお菓子を売って、どうやって台湾のNo.1富豪になれたのかと疑問になるが、彼が大金持ちになった背景も、李嘉誠と同様に積極的な中国進出である。10円の利益が出るお菓子を、中国民が一人一個買ったとしても130億円になるが、その中国のスナック菓子市場で最もシェアが高いのが、旺旺グループだ。今でも旺旺グループの主力は煎餅や乳製品などの食品だが、食品で成した財を使って、メディア、ホテル、医療、不動産などに事業を拡大しており、今では一大財閥になっている。

 

 蔡衍明は、 李健煕と同様に父親から会社を譲ってもらっているのでアドバンテージがあったように見えるが、李健煕が韓国屈指の企業を譲ってもらったのに比べて、蔡衍明は破産寸前の食品委託製造会社を引継いでいる。破産寸前の会社と言っても、熟練した従業員や工場などのインフラなど、事業をする上で必要な土台はあっただろうから、ゼロからはじめた李嘉誠よりは有利な条件ではじめたのかも知れないが、破産という逆境も一緒に引継いでいるため、アドバンテージとは言えないだろう。
 
 それでは何が破産寸前の会社を引継いだ蔡衍明を台湾No.1の富豪に成長させたのか。蔡衍明は、勉強熱心な李嘉誠とは違い、「本を読むより、人と遊ぶほうを選ぶ」というほど勉強も読書も嫌いな人である。だが、鋼鉄王アンドリュー・カーネギーの名言である「自分で仕事をするのではなく、仕事をさせる適材を見つけることが大切だ。」という言葉を忠実に実践している人であるように見える。実際に彼は、メディアとのインタビューで「私が得意とする食品は私がやり、その他の分野は専門家に任せればいい」と話している。自分が得意な分野は自分がやって、自分が不得意な分野は適材を見つけて任すことが、勉強嫌いな蔡衍明でも巨大な財閥を築き、運営できる秘訣ではないだろうか。